※ 以下、映画「ブレードランナー」の内容に触れます。知りたくない方はご用心ください。
「砂漠?どこの砂漠だ?」
「どこかの砂漠です。仮想の話ですよ。」
「リビアか、エジプトか。チュニジア、アルジェリアかも」
「こことここに戦車がいます。」
「III号かIV号か。何型?長砲身なのか?」
「戦車はいずれも敵に背を向けています。」
「オレがそんな配置をしたっていうのか。」
「そういうシナリオなんです。」
「何を言ってる。オレがそんなことを」
「あなたが先手です。どうしますか。」
「こうするんだよ(銃声が響く!)」
。。。と小芝居はこの辺にして、ついに2019年です。現地から「2019年、ロサンゼルス」とTwitterする誘惑もありましたが、このポストは東京からです。
現実の2019年ではすでに機械が人間をチェスや将棋で負かすようになっていて、ウォーゲームも人間の対戦相手がいなくてもそこそこプレイできるようになりつつあります。この傾向は今後さらに進んでいくのでしょう。
僕が楽しみにしているのは、人間ではない知性が「ウォーゲームで勝利条件を達成する能力」じゃない部分を向上させていくことだったりします。WW2北アフリカのウォーゲームをプレイしながら「このドイツ軍の迂回機動はロンメルっぽくてシビれますね」などとコメントしてくれるような。
こちらが日々Google検索にどんなキーワードを入力して、どんな漢字を変換して、どんなページにどのくらい滞在しているかを知り得る立場にあります。インターネットにある膨大な知識と経験を総動員して臨んできます。こちらがコロっといってしまうような、素敵なコメントを紡ぐのは難しくないはず。
人間プレイヤーが顔をしかめるような極限状況的製品のプレイも、イヤな顔ひとつせずやってくれます。人間プレイヤー相手にやったら嫌われるようなプレイをしても、優しい態度で何度でも、何回でもつきあってくれるはずです。
「タカサワ君とプレイするよりコンピュータ相手の方がいい」
そう思われたとして、それは寂しいですが、人類と対戦することがウォーゲームの目的そのものではないとも思います。面白いウォーゲーム体験を実現するために、最良の手段が人類プレイヤーと対戦である。これまではそういう時期にあった、と。
年頭からひねくれた発言になってしまいました。冒頭の画像の3作、いずれも人類プレイヤーと対戦してみたいものばかりですので、機械、もとい、機会がありましたらぜひよろしくお願いいたします。今年もよろしくお付き合いください。